SSブログ

宮原知子のフィギュア成長の理由とは?その性格と両親のこと [スポーツ]

宮原知子さんが2016年の四大陸フィギュアスケート選手権 フリーで自己ベスト更新の214・91点で見事初優勝しました。

2016-02-21_151041.png
出典:http://www.afpbb.com/

まだ17歳という若さで次々と自己ベストを更新していく宮原選手
の成長には凄いものがあります。
その性格や両親やコーチについて注目してみました。

宮原知子にスケートをすすめた両親とは?

宮原知子さんのご両親は医師だそうです。
その関係で幼いころからアメリカのビューストンで生活していました。

宮原選手がスケートを始めたのは4歳の時。
「やってみる?」とすすめたのは両親だったそうです。
やってみたら楽しかったので続けたと言います。
両親がもともとスケート好きだったのかもしれませんね。

京都の立命館小学校6年生の時。

「両親からよく言われることや両親の口癖をこっそり教えて?」
というインタヴューにこう答えています。

「出来るかな? と思っていては出来ない。
何事も出来る! と思ってやりなさい。」

どんな両親だったのか?
子供にどういう風に接していたのかが何となくわかりますね。

小さいころから言われ続けたこの言葉を胸に刻んで、
宮原知子さんはスケートに集中し、
現在の結果につながっているのかもしれませんね。

スポンサーリンク





宮原知子の性格は?

宮原知子さんは5歳の時からアメリカのスケート教室に
通っていましたが、
7歳で出身地の京都へ帰ってきます。
小学2年で今のコーチである濱田美栄さんと出会います。

濱田コーチから見た小学校時代の宮原さんの性格は、
「引っ込み思案で、自分からは決して話しかけないような寡黙な子でした」

同時に「目に力のある子だな」と思ったそうです。

なるほど、それは今でもそうですよね。目ぢから。
寡黙、というのもわかりますね。
17歳にしてはきゃぴきゃぴしたところが全然なくて
ものすごく落ち着いています。

私は好きですが、そんなところが逆に見る人によっては、
“おばさんくさくて嫌い”
なんて言われる理由かもしれませんが。

宮原知子 のフィギュアスケートの練習とは

宮原知子さんは小学校の頃から、練習に対しては人一倍の努力家
だったようです。

アメリカから帰ってきた頃、宮原さんのスケートのジャンプは逆回転だった。
逆回転というのは真上から見て時計と逆方向、つまり左回り
にジャンプを跳んでいた。

それを順回転(右回り)に矯正する練習のためだけに、なんと2年も
かかったというのです。
それだけで練習も他の生徒たちに大幅に遅れてしまいますよね。

濱田美栄コーチから見て、宮原知子さんは技術も特別
上手なほうでもなかったといいます。

「しかし大変な努力家で、こちらが諦めかけても本人が諦めない。できるまで努力し続ける強さがあります。  濱田コーチ」


才能とはもって生まれたもの、というよりは
できるまで努力し続ける強さのことだと、濱田コーチは考えているようです。

小さなころに両親から言われたこと。

それと同じことを宮原さんはコーチの指導の中に見出し
忠実に自分自身の練習に体現してきたのでしょう。

これからもその成長を楽しみながら見守っていきたいですね。




スポンサーリンク









タグ:宮原知子
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:スポーツ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

お試しセット販売

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。